特徴等
二條城は慶長8年(1603)、江戸幕府初代将軍徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするため築城したものである。その後、寛永のはじめに後水尾天皇の行幸のために大規模な改修が行われ、壮麗な城郭となった。時代は下り、慶応3年(1867)に15代将軍慶喜が二の丸御殿の大広間で「大政奉還」の意思を表明し、日本の歴史が転換していったことは広く知られている。
二の丸御殿は、二の丸の東南から北西にかけて、遠侍及び車寄、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟が雁行形に立ち並ぶ御殿である。部屋数33室、800畳余りもある内部は、代表的な「松鷹図」をはじめ、将軍の威厳を示す虎や豹、桜や四季折々の花を描いた狩野派の障壁画 (模写画) で装飾され、国宝に指定されている。
黒書院は、江戸時代には「小広間」と呼ばれ、六間から成っている。将軍と徳川家に近い大名や高位の公家などとの対面の場であった。襖絵は、狩野探幽の弟・尚信の筆になる。
参考資料:二条城案内リーフレット(京都市)/国指定文化財等DB(文化庁)
2023-1-2
       
       
       
       
二条城二の丸御殿黒書院 (小広間)
(国宝) (撮影:2023-1)
二条城二の丸御殿黒書院 (小広間)
(国宝) (撮影:2023-1)
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番号・名称 年 代   構造等
171 二条城二の丸御殿黒書院
   (小広間) (国宝)
慶長7-8年
(1602-1603)
及び寛永2-3年
(1625-1626)
桁行正面七間、背面八間、梁間右側面六間、左側面八間、一重、入母屋造、本瓦葺
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